寺院案内
本堂

御本尊像(修復前の阿弥陀如来像)

譲状 木仏本尊 御壱体右是辿江州犬上郡福満村(現在彦根市)得法寺内平田家持仏像二有之候處此度不思議ノ御因縁ニヨリ不肖久太郎カ受ケタルニ付テハ旧縁不浅貴村真宗本願寺派説教所(天野説教場)御本啓二奉納仕り聊モ合法久住利楽有情ノ微志ヲ表セント欲ス希クハ有縁善男善女諸氏永遠礼拝供養日夜二法義相続アラン事ヲ依テ此段譲状知性

明治世五年七月給八日
広島市元柳町居住真宗正善坊門徒
米田久太郎 柳

御本尊像

と譲状に書かれてある。
篤信家米田久太郎氏は当時、広島から京都・滋賀方面にかけて手広く商いをされておられ、また天野説教場建立の中心的役割を果たし、地元の事業家でもあった見吉作太郎氏とは親戚でもありヽ真宗興隆への深い同信の友でもあった。そうしたご両人のお念仏への篤い思いが御本尊奉納実現へと向かわせたものと思われる。

それにつけてもそのご両人を支え、念仏道場建立に燃えられた当時の門信徒の方々の思いが今伝わってくるようである

なお、この御本尊はいつの時代かひとりの僧が背負い、戦乱をのがれながら近江国犬上郡福満村得法寺までたどり着き、遂に倒れ、御本尊の礼拝供養を頼み、息絶えたものと伝えられている。それ以来、得法寺平田家の持仏として礼拝されていたものである。この御本尊の製作年代は室町時代後半のものであろうと推定されている。(県文化財課)当時これほどの大きさと荘厳なお姿の御本尊を安置し礼拝されていた僧俗の方々の真剱かつ敬虔な面影がしのばれ、また因縁あってこの宗吉の地に迎えられた時の門信徒の方々の喜びと感動が重ねられて伝わってくるようである。

親鸞聖人御影(像)の由来

親鸞聖人御影(像)

御影(像)の裏書きに「大谷本願寺親鸞聖人御影……略……明暦元載(1652年)未11月10日近江国野州郡小南村惣道場教楽寺什物也」と記されている。現在は無住の寺となっている。

この御影(像)がいかなる因縁でいかなる経路をたどって天野説教場の什物となったかは定かではないが、恐らく近江国となっているところから「御本尊」と同じ因縁をたどって米田久太郎氏を中心に当時の篤信家の方々の御懇念によるものであろう。

墓地・合同墓

墓地・合同墓

天龍寺門信徒並びに有縁の方々から、天龍寺として墓苑を造営して欲しいというご希望を受け、昭和62年に「磯松天龍寺墓苑」が完成いたしました。以来約20数年に渡り、多くの方との「ご縁」をいただいております。従来型の墓地と西洋式の墓地(名称―ガーデニング墓地「花の苑」)も兼ね備えております。

また、平成25年に磯松天龍寺墓苑内に「磯松天龍寺墓苑合同墓」を建立させていただきました。詳しくは「墓地・合同墓」を参照していただきますようお願い申し上げます。

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